2011カミーノ、最大の「ぎゃふん」
巡礼達成後、早2か月が経過。
そろそろ書き始めます。
スロースターターですみません。
まず、今回の旅で一番「ぎゃふん!」と言わされたことから。
それはCasanova。
イタリアの色男のことではないですよ、念のため。
メリデのちょっと手前にある、小さな村です。カサノバっていう。

カサノバのアルベルゲ前で、みおじんと(撮影:ロブ)
予定ではこの日はメリデに泊まり、
有名なプルポ(タコ)を食べてワインを飲もう!という素敵なことを考えてはいたのですが、
なんせ今回も予定は未定ってことで、ちょいとスケジュール調整が入りまして。
メリデ泊は断念し、途中のカサノバでストップしたわけです。
カサノバ到着は午後2時頃だったかな?忘れちゃった。
でもそんなに遅くはない時間。
アルベルゲはかなりの人数になり、「あーベッド確保できてよかったね」と喜んだことでした。
お風呂に入り、洗濯をし、村の散策へ。
・・・?
バルがない。ということはレストランもない。自販機もない。何もない。
そんなことはなかろうよ、と、ちょっと足を延ばして近くの集落?まで行ってみたものの、やっぱり何もない。
ぶらぶら歩いていると、「アルベルゲ○○はこっち!」という看板を発見。
どうやら隣の集落?にもう1軒アルベルゲがあるようで。
看板によると1kmちょいとこのことだったので、歩いてみることに。
するとね、歩いても歩いても、林。
せっかくお風呂に入ったのに、炎天下で汗がまた吹き出し、さらにいつまでたってもアルベルゲがない!
もういい加減にしろよな!、とキレ始めた頃にやっと看板が。
そこからさらに歩くことになりつつも、ここまで来たのだから引き返してたまるか と意地で歩く。
ようやく着いたそこは完全にまったく違う村。しかも人の気配ゼロ。
件のアルベルゲは坂の下にあり、ちんたら歩きながらやっと到着。
でもアルベルゲとはいうものの、ちょっと雰囲気が違うのよね。
そこは巡礼者のアルベルゲではなく、バカンスを楽しむためのゲストハウスといったかんじでした。
さらに、いたのはお客さんらしきスペイン人ファミリーたちのみ。
オスピタレイロはおらず、「用がある人はこちらに電話を!」と携帯番号のメモがあるのみでした。
ちーん・・・。
ごはんが食べられるかと思って長い道のりをやってきたわけでしたが、
ドリフの長さんばりに「だめだコリャ」とあきらめ、また帰ることに。
30分以上かかる帰り道をとぼとぼ歩いていたら
前方から同じアルベルゲに泊まっている韓国のご夫婦+1人巡礼の女子、計3人がやってきました。
聞くと、今私たちが行ってきたアルベルゲに夜ごはんを食べに行くという。
行くのはムダだよ、誰もいなかったよ、と伝えると、
「私たちが泊まっているアルベルゲのオスピタレイロが、夜ごはんの予約の電話をしてくれたんだよ。
完全予約制なんだって。」とのこと。
ちーん・・・。
さらに、
「カサノバには食料を買えるところはないよ。これから行くアルベルゲが唯一のレストランなんだって。」
ですって。
ちーん・・・・・・。
韓国人たちを見送り、みおじんと私の頭の中にある思いはただひとつ。
「食べるもの、ないよね・・・」
私たちが持っていた食べ物といえば、
ドライマンゴー 数切れ 酢昆布 数枚 水
以上。
もはや起きていてもいいことなんてあるまいよ。お腹が空くだけだよ。
なので7時半には就寝。
寝ようとしているところへ韓国人たちが帰ってきて、例のアルベルゲのディナーはおいしかったとのこと。
う・・・。聞きたくなかったYO☆
でもその韓国人のご夫妻、食いっぱぐれた私たちのことをとても心配してくださって、
「僕たちはもう食べたから、よかったからこれをどうぞ」
と、おいしいパンとチーズを分けてくださった。
あ、ありがたや!!
このご夫妻とはいろんな街でちょこちょこ遭遇していて、
お互いに「ん?韓国人?日本人?どっちかな?」と気にはしていたのです。
(ちょっと日本人っぽい雰囲気のお二人だったので、どっちのお国かわからなかったのよね)
「トリアカステーラでアルベルゲが見つからなくてウロウロしてたでしょう?
あの日はちゃんと泊まれた? 心配してたんだ」
とも。
あらら、いつも気にかけてくださってたんですね。というかどんだけフラフラしてんの、私たち?
韓国語でパンのお礼をして、この日はおかげさまで満ち足りた気持ちと腹で就寝できました。
本当にありがたかった。
カミーノを旅していると、困ったときはお互いさまとばかりに 誰かが誰かを助け合うのです。
そして大切な仲間になっていくのですね。
このご夫妻ともぐっと距離が近くなりました。
素敵なお二人だったなぁ。
で、今日 何を訴えたいのかといいますと
「カミーノって素晴らしい!」
「カサノバに泊まるときは、食料確保が大前提!」
この2点でございます。
※この情報は2011年8月の情報です。
その後、もしかしたらお店やらバルやら、何かしらできるかもしれないですね。
※「ひとつの村ごとにバルがある」ものだと思っていたので、けっこうな衝撃でした。
確かに、たいがいの村・街にはあるものでしたが、
巡礼路の後半、特にガリシア州に入ってからは、名前もわからないような小さな村が点在していて、
バルはおろか 人の気配すら感じることなく通り過ぎることが多かったです。
カミーノ・フランセスを歩く方は、念のため頭に入れておくといいかもしれないです。
そろそろ書き始めます。
スロースターターですみません。
まず、今回の旅で一番「ぎゃふん!」と言わされたことから。
それはCasanova。
イタリアの色男のことではないですよ、念のため。
メリデのちょっと手前にある、小さな村です。カサノバっていう。

カサノバのアルベルゲ前で、みおじんと(撮影:ロブ)
予定ではこの日はメリデに泊まり、
有名なプルポ(タコ)を食べてワインを飲もう!という素敵なことを考えてはいたのですが、
なんせ今回も予定は未定ってことで、ちょいとスケジュール調整が入りまして。
メリデ泊は断念し、途中のカサノバでストップしたわけです。
カサノバ到着は午後2時頃だったかな?忘れちゃった。
でもそんなに遅くはない時間。
アルベルゲはかなりの人数になり、「あーベッド確保できてよかったね」と喜んだことでした。
お風呂に入り、洗濯をし、村の散策へ。
・・・?
バルがない。ということはレストランもない。自販機もない。何もない。
そんなことはなかろうよ、と、ちょっと足を延ばして近くの集落?まで行ってみたものの、やっぱり何もない。
ぶらぶら歩いていると、「アルベルゲ○○はこっち!」という看板を発見。
どうやら隣の集落?にもう1軒アルベルゲがあるようで。
看板によると1kmちょいとこのことだったので、歩いてみることに。
するとね、歩いても歩いても、林。
せっかくお風呂に入ったのに、炎天下で汗がまた吹き出し、さらにいつまでたってもアルベルゲがない!
もういい加減にしろよな!、とキレ始めた頃にやっと看板が。
そこからさらに歩くことになりつつも、ここまで来たのだから引き返してたまるか と意地で歩く。
ようやく着いたそこは完全にまったく違う村。しかも人の気配ゼロ。
件のアルベルゲは坂の下にあり、ちんたら歩きながらやっと到着。
でもアルベルゲとはいうものの、ちょっと雰囲気が違うのよね。
そこは巡礼者のアルベルゲではなく、バカンスを楽しむためのゲストハウスといったかんじでした。
さらに、いたのはお客さんらしきスペイン人ファミリーたちのみ。
オスピタレイロはおらず、「用がある人はこちらに電話を!」と携帯番号のメモがあるのみでした。
ちーん・・・。
ごはんが食べられるかと思って長い道のりをやってきたわけでしたが、
ドリフの長さんばりに「だめだコリャ」とあきらめ、また帰ることに。
30分以上かかる帰り道をとぼとぼ歩いていたら
前方から同じアルベルゲに泊まっている韓国のご夫婦+1人巡礼の女子、計3人がやってきました。
聞くと、今私たちが行ってきたアルベルゲに夜ごはんを食べに行くという。
行くのはムダだよ、誰もいなかったよ、と伝えると、
「私たちが泊まっているアルベルゲのオスピタレイロが、夜ごはんの予約の電話をしてくれたんだよ。
完全予約制なんだって。」とのこと。
ちーん・・・。
さらに、
「カサノバには食料を買えるところはないよ。これから行くアルベルゲが唯一のレストランなんだって。」
ですって。
ちーん・・・・・・。
韓国人たちを見送り、みおじんと私の頭の中にある思いはただひとつ。
「食べるもの、ないよね・・・」
私たちが持っていた食べ物といえば、
ドライマンゴー 数切れ 酢昆布 数枚 水
以上。
もはや起きていてもいいことなんてあるまいよ。お腹が空くだけだよ。
なので7時半には就寝。
寝ようとしているところへ韓国人たちが帰ってきて、例のアルベルゲのディナーはおいしかったとのこと。
う・・・。聞きたくなかったYO☆
でもその韓国人のご夫妻、食いっぱぐれた私たちのことをとても心配してくださって、
「僕たちはもう食べたから、よかったからこれをどうぞ」
と、おいしいパンとチーズを分けてくださった。
あ、ありがたや!!
このご夫妻とはいろんな街でちょこちょこ遭遇していて、
お互いに「ん?韓国人?日本人?どっちかな?」と気にはしていたのです。
(ちょっと日本人っぽい雰囲気のお二人だったので、どっちのお国かわからなかったのよね)
「トリアカステーラでアルベルゲが見つからなくてウロウロしてたでしょう?
あの日はちゃんと泊まれた? 心配してたんだ」
とも。
あらら、いつも気にかけてくださってたんですね。というかどんだけフラフラしてんの、私たち?
韓国語でパンのお礼をして、この日はおかげさまで満ち足りた気持ちと腹で就寝できました。
本当にありがたかった。
カミーノを旅していると、困ったときはお互いさまとばかりに 誰かが誰かを助け合うのです。
そして大切な仲間になっていくのですね。
このご夫妻ともぐっと距離が近くなりました。
素敵なお二人だったなぁ。
で、今日 何を訴えたいのかといいますと
「カミーノって素晴らしい!」
「カサノバに泊まるときは、食料確保が大前提!」
この2点でございます。
※この情報は2011年8月の情報です。
その後、もしかしたらお店やらバルやら、何かしらできるかもしれないですね。
※「ひとつの村ごとにバルがある」ものだと思っていたので、けっこうな衝撃でした。
確かに、たいがいの村・街にはあるものでしたが、
巡礼路の後半、特にガリシア州に入ってからは、名前もわからないような小さな村が点在していて、
バルはおろか 人の気配すら感じることなく通り過ぎることが多かったです。
カミーノ・フランセスを歩く方は、念のため頭に入れておくといいかもしれないです。
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