2011年度巡礼日記 #14 8月14日(日)
■サンタ・イレーネからモンテ・ド・ゴソ、ゴールまであと4.5km
起床、ダイニングに荷物を運んでパッキングをしていると、マスミさん登場。
「おー、ここに泊まれてたんだね!」と喜んでくれました。ありがとう!
いよいよラストだねー、と話していると、
部屋に入ってきた外国の巡礼がマスミさんを見つけて「マスミ!?」と驚きの声。
しばらく会えていなかった巡礼仲間のようで、2人ともハグをして再会を喜んでいました。
この光景は巡礼中、いたるところで目にしますが、
その度に自分のことのようにうれしく、目頭が熱くなるものです。
カミーノっていいな、としみじみ思いました。
さて、今日は20kmも歩かないもんね~ふふふ~ん♪
と余裕をぶっこいてチンタラ準備をしていたら、あっという間にビリっけつに。
後から追いつくので、とみんなには先に行ってもらいました。
森の中を1人で歩きます。
モホンが示すサンティアゴまでの距離も、どんどん近づいていきます。
明日はサンティアゴまではたったの4.5km、巡礼路らしい「歩く旅」の行程は今日で最後。
今まで歩いてきた道が思い出され・・・ることはここではなく。
まずはみんなに追いつくことが先決なのだ!
朝イチからハイペースで歩き、30分ほどでやっとこさっとこみんなに合流。
右か左か、どっちの道を行くかで ちょうど立ち止まってるところでした。
「左は舗装道路、右は森の中。どっち?kaoryが決めて!」と言うので、「右!」と独断。
そしたらなかなかバルがなく、ちょっとブーブー言われました。
知るか!
とイラっとしたところでバル発見。よかったー。
今日は天気が下り坂。最後の最後で雨はやだなー。
と思いつつ、ザックカバーを装備。
カッパとゲーターも着用して準備万態、出発です。
道はだんだん森の中から開けたところへと変わってきました。
いよいよ、ガリシア州の州都へと近づいているのが実感できます。
ラバコージャの近くになると、ヘンテコな電柱のようなものが並ぶ横を歩きます。
これはサンティアゴ・デ・コンポステーラ空港の誘導灯。ああ、いよいよサンティアゴ!
4日後にはここからマドリードへ戻るのです。しょぼん。
雨が降ったり止んだりの中、今日はアンドレアとあかりんと話しながらの道のりです。
お互いに悪い言葉を教え合ったり、バカ話をしたり、たくさん話しました。
アンドレアは日本語に興味を持っていて、教えた言葉はおもしろいようにさくさくと覚えて、
これは本格的に勉強したらすんなりとマスターするんだろうな、とうらやましい限り。
英語もいわゆる「Spanglish」ではなく、とてもきれいなアメリカ英語を話します。
「アンドレアは英語もすごく上手だよね!」と言うと、
「それはね、英語が話せるようでないと、大学を卒業してもいい仕事に就けないからだよ。
それに英語だけじゃまだダメ、もっと能力を身につけないと」と大学生のアンドレア談。
スペインの厳しい雇用状況を思い知りました。
アスファルトの上に「Muchos cojones!」というメッセージがあり、アンドレアに意味を尋ねると
「Animo(頑張れ)よりももっと、めちゃくちゃ頑張れ!っていうときに使うんだよ」と教えてくれました。
おおっ、いいねソレ。使おうじゃないか。
その後は歩きながら、「Muchos cojones!」を大声で連発。
じつはこのスラング、あまりお上品ではない言葉。
でもアンドレアも楽しそうに叫んでるので、私も言ってしまおう。Muchos cojones!!
途中でほとんど休むことなく、霧雨のような細かい雨の中を歩いていると、道はだんだんと丘へと向かいます。
もしかして、もしかして? 例の丘に近付いちゃってるってやつ?
前方のバルというか、売店のようなところでボラージュとサンドロが待ってました。
期待的中、モンテ・ド・ゴソに到着ー、バンザイ!
丘の上には先代のローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世がいらした時の記念塔があります。
あかりんとアイスを食べながら記念撮影。
「こんな寒いのにアイスを食べるなんて、日本人はクレイジー」と言われようが、こんなときはアイスなのだ。
アイスを掲げてポージングだぜ。
アイス撮影も済み、巡礼者の銅像が立つ歓喜の丘へ。
丘からはサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂が見えます。
長い道のりをはるばる歩いてやってきた巡礼者たちはこの丘に駆け上がり、
遠くに見えるカテドラルを眺めて喜びに包まれた、という丘です。
かつてはカテドラルの尖塔がクッキリとわかったであろう景色は、
今はたくさんの建物にまぎれて、どれがカテドラルなのか なかなかわからなかったです。
が、ちゃんとわかりましたよ。(イマイチ自信ナシ)
思っていたほど「あれか!」という驚きはなかったのですが、
みんなで「ついに来たね」とウキウキのような、寂しいような気持ちになりました。
歓喜の丘からアルベルゲの事務所まで、軽く道に迷いつつ(よくわからなかった!)、
ようやくたどり着くと、順番待ちの長い列。
地べたに座り込み、おしゃべりしていると みおじんから電話がかかってきました。
なんとみおじん、モンテ・ド・ゴソを目指して歩いているというではないか!
あんなに脚を痛めていたのに、今日は朝から絶好調でガツガツ歩いているという。
というのも、今まで薬に頼るのがなんとなくイヤで、痛み止めの類は一切飲まなかったのだけれど、
ロブに「飲んでみて」と分けてもらった薬が劇的に効いたらしく、これっぽっちも痛まないとのこと。
「最初から飲んでおけばよかったわー。ということで、そちらに合流しまーす」だって。
よかったよかった。
ゴソのアルベルゲは超巨大、収容人数は500人を超えるということで、
一体どんなアルベルゲ?と思っていたのですが、
国民休暇村的なところで、学生時代に自然教室とかで泊まった施設と似たようなものでした。
1部屋は定員8人。
あかりん・みおじん・サンドロ・ボラージュ・アンドレア・エド(バルセロナ男子)・フン・私、一部屋占拠。
みおじんも後からやってきました。
ロブも一緒に来るはずだったんだけど、またもや悩みに悩んだ挙句、
ダビさんご一行の待つサンティアゴへ向かったとさ。
「明日の朝、ゴソまで迎えに行くからね」と電話がありましたが、なんだそりゃ。
お風呂を済まし、カフェテリアに行ってみんなでぐうたらぐうたら。
そんな中、サンドロやボラージュは帰りのフライトなどを検索したり、空港までのバスの時間を調べたり。
エンディングが近づいている、ということをまた感じ、しょぼくれました。
でも泣いても笑っても明日でおしまい、じゃあ笑って行こうじゃないか。
夜ごはんは併設のレストランへ。
団体さんが何台ものバスで乗り込んできて、レストランは長蛇の列。
ちょっと早めに行っておいてよかったー。
その団体さん、100人を超えているであろうブラジル人の若者のグループでした。
何でブラジル人かってわかるかというと、もう一目瞭然。国旗がどーん!だから。
中にはプシャーダ・ジ・ヘージで使うような大きな麦わら帽子をかぶっている人も。
わー、話したい!
しかし、あまりの大人数にしり込みしてしまい、話しかけられず。無念。
さてみんなでごはんです。
オルガ・ボラージュ・みおじんと4人で
「今までの人生で自分がした、もしくは してもらった、ロマンチックなことは何か」という話題に。
スペイン人オルガとハンガリー人ボラージュの話を聞き、日本人の2人は「!?」と度肝を抜くばかりでした。
こ、こっ恥ずかしい。これは映画の中の話か?
オルガとボラージュはお互いの体験談に「うんうん、わかるわ~。いいよね~、ステキ~!」
と意気投合してましたが、
みおじんと私の感想は「カーッ、かゆいかゆい!歯が浮くぜ!恥ずかしーわー」でした。
この反応、ヨーロッパの2人は理解できなかったようです。
一応、私たちは日本人の中でも変わっている類である、と断っておきました。
変な日本人のイメージが蔓延するのは食い止められたかと。
それにしても聞いててこそばゆい話ばかりで、むしろ楽しく聞けました。
聞くばかりで披露できるネタは皆無。つまらないじゃろう、すまんね。
ごはんを終え、みんなはタバコ一服タイムというのでみおじんとプラプラしながら部屋に戻りました。
アルベルゲで過ごす最後の夜です。
今まで長いようであっという間だったね、と再度しみじみしました。
明日はアンドレアがオスタルを予約してくれたので、あかりん・みおじん・私の3人で泊まります。
あとのみんなは別のオスタル。
寝るまでの、みんなであーだこーだと話しながら過ごす時間がいつまでも続けばいいのに。
おまけ。
マスクをして寝袋にすっぽり入り、その姿ミイラの如し、というような状態でいる私を見て、みんながゲラゲラ。
そんなに変???
19km
起床、ダイニングに荷物を運んでパッキングをしていると、マスミさん登場。
「おー、ここに泊まれてたんだね!」と喜んでくれました。ありがとう!
いよいよラストだねー、と話していると、
部屋に入ってきた外国の巡礼がマスミさんを見つけて「マスミ!?」と驚きの声。
しばらく会えていなかった巡礼仲間のようで、2人ともハグをして再会を喜んでいました。
この光景は巡礼中、いたるところで目にしますが、
その度に自分のことのようにうれしく、目頭が熱くなるものです。
カミーノっていいな、としみじみ思いました。
さて、今日は20kmも歩かないもんね~ふふふ~ん♪
と余裕をぶっこいてチンタラ準備をしていたら、あっという間にビリっけつに。
後から追いつくので、とみんなには先に行ってもらいました。
森の中を1人で歩きます。
モホンが示すサンティアゴまでの距離も、どんどん近づいていきます。
明日はサンティアゴまではたったの4.5km、巡礼路らしい「歩く旅」の行程は今日で最後。
今まで歩いてきた道が思い出され・・・ることはここではなく。
まずはみんなに追いつくことが先決なのだ!
朝イチからハイペースで歩き、30分ほどでやっとこさっとこみんなに合流。
右か左か、どっちの道を行くかで ちょうど立ち止まってるところでした。
「左は舗装道路、右は森の中。どっち?kaoryが決めて!」と言うので、「右!」と独断。
そしたらなかなかバルがなく、ちょっとブーブー言われました。
知るか!
とイラっとしたところでバル発見。よかったー。
今日は天気が下り坂。最後の最後で雨はやだなー。
と思いつつ、ザックカバーを装備。
カッパとゲーターも着用して準備万態、出発です。
道はだんだん森の中から開けたところへと変わってきました。
いよいよ、ガリシア州の州都へと近づいているのが実感できます。
ラバコージャの近くになると、ヘンテコな電柱のようなものが並ぶ横を歩きます。
これはサンティアゴ・デ・コンポステーラ空港の誘導灯。ああ、いよいよサンティアゴ!
4日後にはここからマドリードへ戻るのです。しょぼん。
雨が降ったり止んだりの中、今日はアンドレアとあかりんと話しながらの道のりです。
お互いに悪い言葉を教え合ったり、バカ話をしたり、たくさん話しました。
アンドレアは日本語に興味を持っていて、教えた言葉はおもしろいようにさくさくと覚えて、
これは本格的に勉強したらすんなりとマスターするんだろうな、とうらやましい限り。
英語もいわゆる「Spanglish」ではなく、とてもきれいなアメリカ英語を話します。
「アンドレアは英語もすごく上手だよね!」と言うと、
「それはね、英語が話せるようでないと、大学を卒業してもいい仕事に就けないからだよ。
それに英語だけじゃまだダメ、もっと能力を身につけないと」と大学生のアンドレア談。
スペインの厳しい雇用状況を思い知りました。
アスファルトの上に「Muchos cojones!」というメッセージがあり、アンドレアに意味を尋ねると
「Animo(頑張れ)よりももっと、めちゃくちゃ頑張れ!っていうときに使うんだよ」と教えてくれました。
おおっ、いいねソレ。使おうじゃないか。
その後は歩きながら、「Muchos cojones!」を大声で連発。
じつはこのスラング、あまりお上品ではない言葉。
でもアンドレアも楽しそうに叫んでるので、私も言ってしまおう。Muchos cojones!!
途中でほとんど休むことなく、霧雨のような細かい雨の中を歩いていると、道はだんだんと丘へと向かいます。
もしかして、もしかして? 例の丘に近付いちゃってるってやつ?
前方のバルというか、売店のようなところでボラージュとサンドロが待ってました。
期待的中、モンテ・ド・ゴソに到着ー、バンザイ!
丘の上には先代のローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世がいらした時の記念塔があります。
あかりんとアイスを食べながら記念撮影。
「こんな寒いのにアイスを食べるなんて、日本人はクレイジー」と言われようが、こんなときはアイスなのだ。
アイスを掲げてポージングだぜ。
アイス撮影も済み、巡礼者の銅像が立つ歓喜の丘へ。
丘からはサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂が見えます。
長い道のりをはるばる歩いてやってきた巡礼者たちはこの丘に駆け上がり、
遠くに見えるカテドラルを眺めて喜びに包まれた、という丘です。
かつてはカテドラルの尖塔がクッキリとわかったであろう景色は、
今はたくさんの建物にまぎれて、どれがカテドラルなのか なかなかわからなかったです。
が、ちゃんとわかりましたよ。(イマイチ自信ナシ)
思っていたほど「あれか!」という驚きはなかったのですが、
みんなで「ついに来たね」とウキウキのような、寂しいような気持ちになりました。
歓喜の丘からアルベルゲの事務所まで、軽く道に迷いつつ(よくわからなかった!)、
ようやくたどり着くと、順番待ちの長い列。
地べたに座り込み、おしゃべりしていると みおじんから電話がかかってきました。
なんとみおじん、モンテ・ド・ゴソを目指して歩いているというではないか!
あんなに脚を痛めていたのに、今日は朝から絶好調でガツガツ歩いているという。
というのも、今まで薬に頼るのがなんとなくイヤで、痛み止めの類は一切飲まなかったのだけれど、
ロブに「飲んでみて」と分けてもらった薬が劇的に効いたらしく、これっぽっちも痛まないとのこと。
「最初から飲んでおけばよかったわー。ということで、そちらに合流しまーす」だって。
よかったよかった。
ゴソのアルベルゲは超巨大、収容人数は500人を超えるということで、
一体どんなアルベルゲ?と思っていたのですが、
国民休暇村的なところで、学生時代に自然教室とかで泊まった施設と似たようなものでした。
1部屋は定員8人。
あかりん・みおじん・サンドロ・ボラージュ・アンドレア・エド(バルセロナ男子)・フン・私、一部屋占拠。
みおじんも後からやってきました。
ロブも一緒に来るはずだったんだけど、またもや悩みに悩んだ挙句、
ダビさんご一行の待つサンティアゴへ向かったとさ。
「明日の朝、ゴソまで迎えに行くからね」と電話がありましたが、なんだそりゃ。
お風呂を済まし、カフェテリアに行ってみんなでぐうたらぐうたら。
そんな中、サンドロやボラージュは帰りのフライトなどを検索したり、空港までのバスの時間を調べたり。
エンディングが近づいている、ということをまた感じ、しょぼくれました。
でも泣いても笑っても明日でおしまい、じゃあ笑って行こうじゃないか。
夜ごはんは併設のレストランへ。
団体さんが何台ものバスで乗り込んできて、レストランは長蛇の列。
ちょっと早めに行っておいてよかったー。
その団体さん、100人を超えているであろうブラジル人の若者のグループでした。
何でブラジル人かってわかるかというと、もう一目瞭然。国旗がどーん!だから。
中にはプシャーダ・ジ・ヘージで使うような大きな麦わら帽子をかぶっている人も。
わー、話したい!
しかし、あまりの大人数にしり込みしてしまい、話しかけられず。無念。
さてみんなでごはんです。
オルガ・ボラージュ・みおじんと4人で
「今までの人生で自分がした、もしくは してもらった、ロマンチックなことは何か」という話題に。
スペイン人オルガとハンガリー人ボラージュの話を聞き、日本人の2人は「!?」と度肝を抜くばかりでした。
こ、こっ恥ずかしい。これは映画の中の話か?
オルガとボラージュはお互いの体験談に「うんうん、わかるわ~。いいよね~、ステキ~!」
と意気投合してましたが、
みおじんと私の感想は「カーッ、かゆいかゆい!歯が浮くぜ!恥ずかしーわー」でした。
この反応、ヨーロッパの2人は理解できなかったようです。
一応、私たちは日本人の中でも変わっている類である、と断っておきました。
変な日本人のイメージが蔓延するのは食い止められたかと。
それにしても聞いててこそばゆい話ばかりで、むしろ楽しく聞けました。
聞くばかりで披露できるネタは皆無。つまらないじゃろう、すまんね。
ごはんを終え、みんなはタバコ一服タイムというのでみおじんとプラプラしながら部屋に戻りました。
アルベルゲで過ごす最後の夜です。
今まで長いようであっという間だったね、と再度しみじみしました。
明日はアンドレアがオスタルを予約してくれたので、あかりん・みおじん・私の3人で泊まります。
あとのみんなは別のオスタル。
寝るまでの、みんなであーだこーだと話しながら過ごす時間がいつまでも続けばいいのに。
おまけ。
マスクをして寝袋にすっぽり入り、その姿ミイラの如し、というような状態でいる私を見て、みんながゲラゲラ。
そんなに変???
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